五芒星館

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help リーダーに追加 RSS ランの花「プリンセス・キコ」に潜むもう一つの暗示?

<<   作成日時 : 2006/02/24 01:21   >>

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2月6日(月)先負・丙寅・九紫・月が火星の北02゚10.1・海王星が合・プレアデス星団と月が大接近(おうし座η星(2.9等)の星食)
2月7日(火)仏滅・丁卯・一白・北方領土の日
2月8日(水)大安・戊辰・二黒・針供養・こと始め・不成就日
2月9日(木)赤口・己巳・三碧・月が最北・月と小惑星ベスタが最接近・カシオペヤ座RZが極小

 世の中は無防備に一歩外へ出ると、大通りには難と厄ウィルスが彷徨っているから、その厄を(空気を調和させる)笛でも吹いて整列させ、そっちの車線へ移転。

 もう一車線の方は純度高き空気を維持して、二通りの道を具現化していく案を閃く。
 その際の笛は雅楽の楽器を起用するが早いけど、胸に浮かぶメロディで代用可能。

 人は不審な顔して言葉で圧して深層には目を向けられないのも資本の論理を、脅迫された慣れの果て。
 昔。中国の名士が黄河の12箇所から用水路を引き、皆は不満だらけながらただ一人「不満なのは、皆に未来を見通す力が無いから」と言い、後に幸いをもたらしたのも、未来を見通した仕事をやった成果。だけど現社会はまず金ありきのせいか、大仕事よりまず増税。

 過去の功労話はされど。現在のストリートに、改革をもたらすなら、顔をしかめず優しい気持ちで安心できる道ではとふと思う。
 人は人とすれ違う度、不審の気を交換しているような社会の現況は、空気悪しと思うばかり。

 さて。
 2004年の5/21に秋篠宮殿下が「ランの館」で植えられたランの花「プリンセス・キコ」が懐妊報道直後の7日夜から8日朝にかけて開花したそうですが。
 私には、この館名と花の名が気になっています。
 何故か?
 名前がランだから。
 これはラン=乱が起きる暗示ではないかと?

 事実、皇室問題(典範改正)で沸いている時期に、この花が咲き懐妊。
 生まれてくる子が原因で、近い将来、この国に乱を巻き起こす?
 モチ、ご本人を直接指すと言うよりは、周囲で論争?

 それを暗示するように、高松塚古墳の「飛鳥美人の目尻にしみ」が見つかったのも気になる。
 染み=涙?
 私は、未だに愛子さんが生まれた直後のお戌参りの写真がフラッシュのように光ったのを体感した日が忘れられませんが、戌といえば、今年は戌年だ。

 でも、これだけ経済格差が出来始めた今。
 良心的な政治論者が登場し、所得格差の縮小政策を具現化してほしい。
 成功者の論理を信じて、新たな生命が誕生しても、貧しい家庭に生まれれば、未来に吹く風も厳しいし。
 皇室への配分も縮小すべきだと思うし、経済格差と、生命の問題を同レベルで考えられる心のある人が国会に立つ需要が(富んでいた時は不要でも)今求められているような?

 何故なら、命と資本を別次元で思案されている方ばかりが国会で弁を揮われるから、子供をドンドン産んで国に税金を多く入れろとなるわけで。つまり、この論理は、とても機械的な発想に感じてならないから。
 ならば、所得の高い人が大勢の子供を養い、所得の低い家庭は、養いを半減とまでは言わずとも、せめて治める税金の方を、超割り引いてもらうか何かしてくれないと、すでに先祖の資本によって生まれた時点で差が付いている現社会では、貧しい者の子は、暗黙で未来も、崖の道になりやすい。

 子供時代は義務教育でセーブされたとしても、その後、強風にやられて、生きる事に失望。自殺をも考える人も今後、増える可能性は高いと思う。
 人は嫉妬心ある生き物だけに、隣も同じなら安心する半面。格差社会となると、富む人、成功する人が羨ましく思え、自分と比べて失望する。
 この思考の回路が、失望へと導く機会を増やしてしまうのも今、見えている未来図の一つ。

 だけど、世の中が決定的によくならないのは、やはり方法の壁。
 その時代に突入したから?
 方法は、人を豊かにさせると思うし、文明を進化させる。
 でも私も何も加担できていないから偉そうなことは言えないけれど、福沢諭吉が西欧視察した時、やはり方法を学びにいったんだと思う。
 だから彼の築いた学府は西欧大学だ。

 西欧大学の時代も行き詰った今。福沢諭吉なら何処に学ぶだろう?

2月10日(金)先勝・庚午・四緑・加賀菅生石部神社竹割まつり・初午・京都伏見稲荷大社初午祭・愛知大国霊神社裸祭・大つち・一粒万倍日

 二月の第一の午の日である本日は「初午」
 稲荷寿司を食し、天地と呼応。陰陽調和を積極的に身体に強制。

 「初午」の由縁は、711年(和銅4年2/11)初午の日に稲荷の大神が稲荷社の本家・京都伏見稲荷に降り立った?
 『日本書紀』によると。
 稲荷大神のご鎮座は秦伊呂巨(具)によって和銅4年(711年)2月初午の日になったと。
 「稲荷社神主家大西(秦)氏系図」では、全国的に天候不順に対し祈請した時に神託があり、山背国の稲荷山に大神を祀ると、五穀稔り富み栄えたと。

 どうも、稲荷の化身が降臨というより、目に見えない神託を、降臨と書き換えていった歴史が見えてきそうな?(神託も立派な奇跡ですが)

 ゆえに、天候不順=祈請=神託=稲荷山に稲荷の御神体を祀る。
 この順が、私の知識、調査内では、論理的内実?

 その歴史に対し、暦上の「初午」の本日。夜ながら「稲荷」参拝し、稲荷寿司を食して初午の儀式を自身の中でイニシエーション。

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