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3月26日(水)友引・乙丑・五黄・開・軫・心 3月27日(木)先負・丙寅・六白・閉・角・尾・品川海雲寺千体荒神祭・京都表千家利休忌・一粒万倍日・三隣亡・ペガスス座Vが極大・さそり座1(4.8等)の食・月の距離が最遠・水星が天王星の南1゚44を通る・水星と小惑星ベスタが最接近 「タンゴ」「俳句」のSさんとタンゴの件で作戦会議。 今、この街で活気付いている(市内)問屋町の一角にあるカフェ「maimai」で、ご馳走をして頂きながら、この一角が盛り上がっているので、ここは歩いてチェックしておくべきとSさん。 DMを置いてもらい、周辺の店も訪ねて、DMを置かして貰う交渉他。 ついでに、私もちょっとビルのオーナーと話をすることに。 しかし、その(数店の入る)ビルのオーナーの考え方が聞けただけでも、勉強になりました。 やはり、人生、行動すると、賢くなるものです。 さて。 私は、5月初旬。 あるイベントに参加する事となりました。 建築家の藤本さん主催の「まちづかい塾」を通しまして。 今回のイベントは普段行っている企業内で行われるイベントとは異なり、一般市民向けの開放イベントですので、また日にち、場所をご報告いたしますので、是非足をお運びください。 しかし私も、新天地で何かをやることに対し、とてもワクワクしています。 主催者も魅力的なプランナーですし、新たな世界にコミットできる事、それは感無量です。 さて、タンゴの件でやっておかなければならない課題(仕事)を出され課題と格闘。 さて、そのタンゴ。 4月に行われるミロンガは、新たな場所(新天地)にて開催致します。 場所は「ハンプティーダンプティ」(岡山市下中野702-101 tel:086-242-4550) お店の四周年のイベントで、タンゴパーティーを開催。(企画提供はタンゴ主催のSさん) と、考えますと「ハンプティーダンプティ」も、(今盛り上がっている)問屋町に近いので、まさにこの周辺に、商気が来つつある? 県内最大規模の広さを誇る書店「啓文社」まで含めて(どうでもいい話ですが、私はこの書店の近くの人間なので今後利用度が上がりそうな予感)、この岡山駅南西部一帯に、運気が訪れているような予感? さて、タンゴの会合を終えて私は、とある会社の社長さんに呼ばれて、某所へ。 そこで、業者に依頼しているホームページにUPする文章を添削、校正して欲しいというので、わかりました。お引き受けいたしましょう! どうも、この間、校正を行わせていただきました某医院の院長先生からの紹介で、私はここに呼ばれてきたのですが、業者に依頼するよりも安いし、紹介という事もあり、私に仕事が回ってきたのでしょう。(金銭苦の私としては、させていただきますという姿勢の所存であります) 隠語は不可解ながら、俯瞰的校正終了。 しかし、更なる課題が勃発。 えっ、一から文章を考えてほしいですって? 原稿用紙換算で、約五枚ほど、お願いできないだろうか? 私のキャパを超えない程度で、タッタッタッ。 「いかがでしょう」 「なかなかいい文章ですね。どうも、ありがとう!」 そうですか、そう言っていただけると、私の方こそ書いた甲斐がありました! よし、この調子で、占術の方も頑張らねばなりません! 3月28日(金)仏滅・丁卯・七赤・建・亢・箕・水星と天王星が最接近・天王星と小惑星ベスタが最接近・カシオペヤ座RZが極小 カバラの数秘術の頂点は22という説が一般では知られていますが、33という数字も存在する説があるらしく、33の人は、愛と奉仕に生きるスピリチュアルな人だそうで、菩薩の数だとか。 33は完成の数字でイエスの33年間、ダビデが国を治めた33年間、インド神話の33神と魅惑的な数字が並ぶ。 と自分も改めて計算してみると33だったので、私はどうも、33に縁深い人間かもしれませぬ? 私の筆名には何と二ヶ所も33画数を用いていたり。 十七歳の時の私の企みは、本当に野心満々という感じですね。 しかし、姓名判断では人生変わらない事を悟り(私は16際の時に、大量の名前を作り、改名で運勢を変えようと試みた人間ですから。でも、当時、私のやっているのを見て、それにちゃちゃを入れようと思ったのか、変てこな名前ばかりを考えて馬鹿騒ぎをしていた赤い男こと芸能プロA氏の方が、どう考えても成功しているのですから〈もちろん、POPな物の受ける時代と呼応した時代の運も味方したことでしょうが〉、結局、名前で変えられる運の面積は三割程度あるかないかかなと思っている現状です。 さて、姓名判断は、それほど開運力が無いかもと挫折感を味わい、十代後半頃には、名前作りに冷めていき、同時に吸収していた数秘術にも疑問を持ってしまった。 やはり、判断する数が少なすぎる。で二十八宿に移行。 結局、行き着いたのは「四柱推命」ですが、でも最近は、人間は、生まれ日の星で判断する「四柱」のような占いとは別に、先祖から続く先祖の書いているとしか思えない筋書きと、私の私論ですが、天のプログラムA(生まれながらに設定された宿命)と、プログラムB(星の動きに対応した運勢)、そして、自身の意志。 この絡みで動いているという考えに至り、それと日常の厄。 人から受ける呪。 それゆえに、上手い選択を行えるかどうか次第で、人生も変えられるという考えに到りました。 そして最近はさらに、運命の軌道を別の軌道へと変えられる手法。 そんな物も伏せられているのではとも予感している考えにまで近付いてきました。(それはおそらく、魔術的な方法、しかも相当高度な手法が必要でしょうが) つまり、気学、東洋(主として四柱)占術。西洋占術だけで、人の運命は計れず、天のプログラムと、天の時、地の理、人のタイミングを見計らえるかどうかで、明日が決まってくると、今は考えています。 例えば、この間、非常に恵まれた日に生まれた方を鑑定したのですが、その方は事故で顔に後遺症が残っていたので、過去を聞いた。 やはり、この方は、女将や女社長になってもおかしくない星の下に生まれてきている人だけに。 でも今は、非常に腰が低く、常に我慢をしていると言われるので「では、過去は」と聞くと、学生の頃は人気がありました。 皆に慕われて、とても運がよかったと。 では、事故に遭われたた年をと聞くと、それが、悪い年ではなかった。 たいがい、悪い年、しかも、相当の年に人生を左右する事が起こる事が多い。 しかし、その方は、そうではないので、例外中の例外だ。 こういうケースは稀なので、ではと、私は思った。 もしかして、十代の頃、それほど運がよく皆に慕われ自分でもわからないのに人気があり、運もよかった当時、調子に乗り、悪い事をしてしまったり、人から恨みを買ったのでは? その方は、そうかもしれない……と。 人は、地位があっても、慢心すると、転落するのがこの世界。 最近の転落死事件は悲惨だけど、寿命だったのかもしれない。 あるいは、何か人には見えないところで悪い事が積もりに積もって、結果、裁きを受けたのかもしれない?(あの方の年齢も少し気になります) そう、あの世で全データは管理されている。私にはそう思えて仕方がないのです。 ゆえに、徳が溜まれば、見えない地位が上がり、色々といい事が起きてくると思います。 反対に地位があっても、厄、悪事が溜まれば、目に見えないところから、(人智では理解できないあの世からの指令にて)刺客が現れるかもしれません。 さて、私はどうか? 何かこれからいいことが起きてきそうな予感があるので、開運の太鼓を、叩いていける予感がしています。 人は、誰しも認められたいもの。 それを踏みつけた時、人は荒くれ者となり、恐怖を投げてくることでしょう。(すでに恨みを持っていて批判した場合はこのケースは的確ではないですが) だけど、良いところを見つけてあげると、人間不信となって失望している人ほど、喜びを噛み締め、心の悪を追い払おうとするもの。 それは、褒められることが少ないために、自分は駄目だと思っているから。そう私は思います。 ですから、街で悲惨な出来事に遭いたくないと思うのでしたら、人を認め、褒めてあげていると、圧迫の反動として爆発しようとする人は、安心を覚えていくものだと思うのです。 3月29日(土)大安・戊辰・八白・除・氏・斗・京都苔寺開山忌・月が最南・金星が天王星の南0゚44を通る・金星と天王星が最接近・金星と小惑星ベスタが最接近 スピリチュアル伊丹で「瞑想会」復活。 最初に唱える瞑想前の枕詞を英語で唱える事になり、私は意味を追えなくとも、声を合わせて峠越えを目指す。 途中、意識が遠のき、不思議な夢を見た。 何ともいえない幸運の夢。 もしあれがあの世の世界なら、その煌びやかさは、筆舌し難い。 3月30日(日)赤口・己巳・九紫・満・房・女・薬師寺花会式・下弦 句会の扉を開ける前、魔よけの呪文を唱えている男がいる。五芒星H.Oという太鼓持ち。 ようこそのお運びで、厚く御礼申し上げます。 さて、落語が「嘘つき村」なら、俳句は何村?ムラムラ。じゃない。 小文士村? 季語の村? 解答の無い迷路へと迷い込んだ夢見夢男は、「俳句会」で、ピーチクパーチク。空には雲雀が飛んでいるわけではないのですが、一人芝居、夢芝居。 花の雨の道を加速して到着後、やっぱり唇は、言の葉を外へ外へと投げかけていたメッセンジャー! その始終の陽気なこと。 花の雨 しとしとと降り 窓を打つ (五芒星作) 今日の兼題「窓」を詠んだ一句。 さて「窓」で私が特選にしたのは「啄木忌 窓のひとつは開けてをく」(誰の句か記載忘れ) 上手い句にはメカニズムがあるのですが、合評時に失敗作の問題点を考える時こそ、参加者は俳句が上手くなるのではと思う私です。 そして、そこが句会の凄いところ。 着眼点はよくても完成度が低いと、点が入らない時と、完成度が高くても発想や鮮度が低いと点が入らない不幸の時。 二つの苦しみ。つまり下手な人も上手い人も苦しむのが句会の魔。 さて、九州のKなほさんの「浜風に乾くくちびる 立子の忌」 この句と同じくなほさんの「啓蟄や汚れて届くエアメール」(特にこの句は高得点句に) 二つの句には、私が思うにフィギュアの浅田真央ちゃんが「トリプルアクセルと三回転と〜を組み合わせれば、必ず表彰台に行ける」と発言した時の自信にも似た、多重的テクニックが駆使されていると思うのです、はい。 事実、なほさんは、多くの俳句賞を受賞されていますし、技術も高い。 では、この二句の多重テクとは? 「浜風に乾くくちびる 立子の忌」=浜風 乾く くちびる (俳人)星野立子 忌。 この組み合わせが、論理性と、非論理性を兼ね備え、取り合わせが地味なようで、相性がよく、風流で、雑ではなく、ごちゃごちゃしていない。言葉を投げっぱなしにせず、字面も悪くない。先生が「唇は漢字にするべき」と言われたので、私が「先生、おそらく唇とすると、次の立の字と(漢字が続くことで)ぶつかり、字面がごちゃごちゃしますから、なほさんは、あえて平仮名にしたと思います」「そうですね、確かに。それが理由でしょう」 浜風に乾く髪の毛とか、髪を使うだけでも重くなるし、やはり唇が、この句を総括した場合、合っていると思いますし、テクニックを感じる一句でした。 「啓蟄や汚れて届くエアメール」=この句は、啓蟄で虫も現れ、そこで手紙が土が付いたか何かで汚れて届いた。 机上の空論ではなく、体験を描きながら(実際、汚れる可能性はほぼないでしょうが)、字面もよく、リズムもいい。 字余りも気にならない。 そして、最後にエアメールとしたところにサプライズを感じます。 つまり、作者は、凡庸さをどう新鮮な物にすべきかと考え(SFとか非現実的な言葉や観念的な言葉、卑猥な表現、ショッキングな表現を使うことなく、現実性の枠内でサプライズを表現しようと)エアメールと持ってきて、私的には、ここに「イナバウアー」のようなテクニックを感じてしまうわけです、はい。 反対に夜カフェ主催のKさんの「午後四時が窓から入ってくる 永き日」 この句は、入ってくるまではグッドながら、永き日のリズムが悪いので、入ってくるで終えてはと思った私。つまり、完了させるテクニックを物にできていない(人のことはいえず、私もそうでしょう)。 しかし、先生は「仕方が無い。季語をどうしても入れようと思ったのでしょうから」と。 Sさんの「丸窓にマザーテレサとプラタナス」 この句は、悪くないけれど、やはりテクニックが完了していないと私は思い、非常に残念な句だと思い候。 窓の兼題で、マザーテレサを持ってきたサプライズはグー! が、何故、「窓」「テレサ」「花」と、並べるだけにされるのか? 啓蟄ゆえ土が主役となり、そこから汚れるという発想が来て、それはエアメールと着地させる俳句のテクを心得たなほさんは、さすがだと思い鳳仙花。 それに「〜に」とすると説明調になりますし。 プラタナス マザーテレサは丸窓に あるいは、 プラタナス マザーテレサの丸窓に とかした方がしっくりくるような。 「春浅き 金平糖の角の色」漆塗り作家のKさんの句。 私は高評価しましたが、金平糖の角は結構、俳句で詠まれていると先生。 しかし、皆、これはいいと高得点句。(角の色という発見がありますから!) 句会とは恐ろしき場所。誰かが新しい切り口の句を出すと、皆、それを模倣する。 で、皆、マンネリになった頃、やはり新しい切り口の句が現れ、俳句を懸命に作っていない(私のような人間は)、転落して、大怪我をして、選ばれなくて、金平糖の角で頭を打つよ、なぁ、(算段のじゃなく九官鳥の)平兵衛! 金星を追いかける少年 窓映る (五芒星作) 私はいい句が出来た(特に窓の兼題において取り合わせとして)と思ったけど、この句は不発に終わった……。 狐火をしづかに映す冬の窓 (五芒星作) この句も自滅……。 天窓をアルゼンチンにいて見上げおり (五芒星作) さすがにこの句は、ここにアルゼンチンタンゴを愛好されるSさん夫婦がおられるだけにヒット! しかし、金星の句の方が愛しい……。 で、悲しいのが、金星以上に一番、凝って詠んだ「狐火をしづかに映す冬の窓」が沈没した反面、ここに来る間に、ふっと閃いた「廃屋や九〇年の窓のまま」 この句が大当たりしたことだ。 皆に言われたのが「五芒星さんは、凝らない方がいい」 しかし、行きがけに閃いたのは、神の助けだろうか? 狙って外した反面、閃きで当たる。 確かに私の占術も、最近、カン、閃きが冴えている分、論理より、カン派となっている今の自分は、良い選択をしているのかも? さて三上先生の「歳いつか大愚を越えて 桃の花」 (重い句を余り詠まれない)先生にしては、威厳のある句を詠まれましたが、この句の秀逸なところは、「大愚」の意味。 大愚とは、良寛さんの俳号だそうで、その良寛の年齢を越えて、自分は生きている。 そして、桃の花が咲いている。 いや、風格を感じさせる句でありました。 「静脈を探していたら チューリップ」 これも先生の句ですが、私の感想は「静脈を探すという入口に対し、当然の解答がなく、出口にサプライズがある。俳句でやっては駄目な、論理的な繋がり、それをせず、ちゃんと誤解させられるよう、しかも軽みがあり、字面もよいですし、リズムもいい。とにかくチューリップにサプライズがあると思います」 先生が「チューリップはなかなか動かないと思います。色々な花の名前を入れてみましたが、最終的に、チューリップしかないと思いましたから」と、格闘を説明。 (主に地元の)俳句の賞の受賞歴も多く、新聞にもよく掲載されるMさんの「啓蟄や 地下街に人 あふれける」 この句は、無点句ながら私は上手いと思います。 前述した、上手い人の苦しみにあたる句ですが、啓蟄で虫が現れる時期に人は地下にあふれるというところが面白いと思うんですが、何かもう一つインパクトが足りなかっただけなのかもしれない。 先生曰く「選ばれなかった理由は、おそらく、この句は、言い過ぎ(説明しすぎ)てしまっているからです」と。 発想といえば女流詩人のユキオ。 彼女の「亀鳴いて土屋アンナを威嚇する」 この句も人気を集めましたが、とにかく旬を詠んだので、数年後には古びるでしょうが、ユキオさんの句には、何か計算と熱気と野望があり、大藪春彦のようなハードボイルド性を感じます。 しかし、句会とは、参加していないと、上達のできないサバイバル世界。 私も時々、精神のかき乱される時のある精神ゲーム。 さて、俳句って、円満な家庭の主婦、それも花が好きで、料理が好きで、家族が好きで、風流好きな人。 そういう人の方が、受けがよく、認められやすい世界な気がしています。 文章に仏の宿るような人が向いている世界。 となると私は、脇役ですね。 最後に、五句以上は出句できなかったので、出句しなかった「窓」の句を記して、本日は、幕とさせていただきます。 窓映る 踊り子の指の白きかな (五芒星作) |
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